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アラサーリーマンの日常を綴った雑記ブログです。キャリア、家庭、趣味などのあれこれ。

海外大学への正規留学、全てはみんなを見返すために

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アロハ。コーヒーです。

GWですね。連休ですね。皆さまは今年のGWはいかがお過ごしでしょうか。今年のGWは4月28日〜4月30日、5月3日〜5月6日がお休みです。カレンダー通りでいくと真ん中の5月1日、5月2日は通常通りお仕事です。しかし、今年は5月1日、5月2日を有給休暇にするとなんと9連休!いやぁ、9連休いいですね。PC持って帰ってるし?どこでも仕事できちゃうし?みたいな。よし。休んじゃえ!って感じで2日間とっちゃいましたよ、有給休暇。これで僕も9連休ですわ。そしたら意外と皆さま出勤するみたいですね。まぁ他人は他人、自分は自分ですな。

そして20代最後のGW。そして今年の秋には30代に突入ですよ。この節目にまとまった時間。自分という人間をもう一度棚卸しでもしてみようかねー、なんて思い立ったわけです。ほら、PDSって、PlanもDoもSeeもどれも大事だよーって言われているじゃないですか。そんなわけで、ちょくちょく振り返りシリーズも入れていこうと思います。昔話・思い出話なのでもしご興味あればお付き合いくださいませ。

 

 

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なぜ、高校を卒業して海外の大学に留学したのか?

さて、最初のトピックとしてはやっぱりこれかな。 留学に大きく進路変更をした高校3年生の時に自分の心の中にあったもの。これが自分という人間を象徴する大きな特徴になるのかなと考えています。今までの自分の人生を頭の中で辿っていくと、海外の大学への進学に進路を変更させたことは大きな決断だっと思います。もともとは国内の地元の大学に進学するつもりでしたから、当時は周囲の人間になぜにいきなり海外?!という反応をされました。同級生、担任、そして親も非常に驚いた様子でなぜ??と聞いてきました。その時は表現力が乏しく文脈ない伝え方をしてしまっていますが、今考えると本当の心にあったものを伝えたくなかったから余計になぜこのような進路変更を希望しているか説明できなかったのかもしれません。

今なら自分に正直に向き合い、その時の心の奥底にあったものを取り出せます。いきなり進路変更を決意したのは、恐らく、周りを見返してやりたかった、自分という存在を証明したかったからだと思います。

 

きっかけは留学ジャーナル

留学というキーワードはどこからともなく出てきたわけではありません。高校では文系で大学も英文学部や外国語学部を希望していました。英会話にも通っていましたので将来は英語の教師になろうかなって考えたりしてました。大学のオープンキャンパスで交換留学という選択肢があることを知り、それも魅力的だなと志望大学を決める際に考慮したくらいです。なのでそのタイミングから留学には意識がありました。そしてある日、赤本などが並んでいる進路指導室で"留学ジャーナル"という雑誌に出会いました。完全にこれがきっかけです。そこに書かれていることはまさに目からウロコだったのです。

 

※留学ジャーナルリンク 

www.ryugaku.co.jp

 

 

2+2という考え方

当時、留学ジャーナルから学んだ一番のハイライトは2+2という考え方です。まず短大(コミュニティカレッジ)に入学しそこで2年間過ごし、それから大学に3年次編入するという考え方です。アメリカの正規留学ではこの方法は正攻法です。現に僕もそのルートを辿って海外の大学を卒業しました。もちろん4年制の大学に直接入るという方法もありますが、難易度とコストの問題で当時の僕には到底できませんでした。逆にコミュニティカレッジだと入学の基準も低く合格しやすいですし、授業料もぐっと下がります。ですから最初の2年間をコミュニティカレッジで過ごすことは非常に有効なのです。

留学ジャーナルではそんな方法で海外の大学を卒業することができる、と断言していてそのルートでカリフォルニア大学やミシガン大学など、聞いたことあるような名門大でキャンパスライフを送っている学生のインタビュー記事が載っていたのです。まさに文字通りビビッときました。そうだ、これだ。これが自分のしたいこと。そしてこれなら自分にもできるかも!と勇気付けられたのです。海外の大学に進学したい!目指すはUCLAだ。そう思いました。そこから、一気に海外の大学に進学し卒業するためには何が必要なのかを調べ上げることになったのです。

 

 

海外大を卒業することが目的ではなかった

留学ジャーナルがトリガーで一気に行動を起こした自分は、正規の留学セミナーに出席したり英会話の先生に実際に留学した卒業生に繋いでもらったり、親を必死に説得したりしました。ただその時はなぜ自分が海外大でキャンパスライフを送っていることを想像した時にビビッときたのかについて深く考えたりもしていませんでした。英語はまあ好きだし、海外には行ってみたいなーっていうのはぼんやり考えていたわけだし、留学ジャーナルがきっかけになっただけであって、とても自然な流れだなと自分自身でも思っていたのです。もちろんそれもあると思います。

当時の気持ちを振り返ってみてよりシンプルにすると、海外の大学に進学して卒業するのってかっこいい!これに尽きると思います。この"かっこいい"に自分もなりたい!そして周囲のみんなにかっこいい、とか、すごい、とか思ってもらいたい。という風になったのかもしれません。今冷静に考えるとそうだったのかもしれないと思っています。僕は海外の大学に進学し、卒業することによって自他共に認める"かっこいい"や"すごい"になりたかったのです。 

 

 

全てはみんなを見返すため

ではなぜ、承認欲求を満たすために海外大進学という思いきった人生戦略に舵を取る必要があったのか。なぜ、そこまで周囲に認められることに執着したのかをまた掘り下げて考えてみました。 恐らくこれではないか、と辿り着いた仮説が高校時代のトラウマです。

僕は小中高とバスケットボール三昧の生活を過ごしてきました。全国大会も出場したこともあります。高校はバスケのスポーツ推薦で入学しました。自分のアイデンティティはバスケットボールというのが半分以上を占めていたと思います。しかし、高校でレギュラーからあっさりと外されてしまったのです。その時の自分にとってはバスケットボールで認められないというのは初めての経験でした。ある意味人生において初めての挫折でした。ものすごい勘違いだったと今ではわかるのですが、人格も含めて全て否定されている感覚で、周りの人間は全員敵だと思っていたのです。本気でそう思っていました。高校の引退の試合もあっけなくベンチで見届けました。当時は最後の大会に関しては最後の最後までプレータイムを与えられず、そのことに対して監督を心底恨んでいました。結局、複雑な心境のまま小学校から情熱を注いでいたスポーツを引退したのです。

僕が留学ジャーナルに出会ったのはこのタイミングです。何かもやもやする気持ちを昇華しきれずに過ごしていた高校3年生。正規留学という選択肢に出会って直感でとても良い選択だと思いました。我ながら名案だったと思っていました。自分は価値のある人間なんだぞ、というアピールに最適な進路選択です。「あいつ海外の大学行くいらしいよ?すごくない?」っていう反応をどこかで期待していたのかもしれません。必死に、自分の存在を訴えていたのだと思います。全てはみんなを見返すために。

 

 

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