iAloha

アラサーリーマンの日常を綴った雑記ブログです。キャリア、家庭、趣味などのあれこれ。

3月31日

アロハ。コーヒーです。

2017年3月31日、この日は僕にとって忘れられない日になりました。長かった。本当に長かった。ようやくこの日を迎えることができました。今回はちょっと過去に遡り、この日を迎えるまでのお話を綴りたいと思います。

 

 

 

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九州から関東へ

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時を遡ること約1年半前。僕は新卒で入社した会社を辞め、やりがいを求め、住み慣れた九州の地を去り、東京の企業に転職しました。わくわくした関東ライフの幕開けを嫁さんのきゃとらにと迎えたのを鮮明に今でも覚えています。

しかし、そのわくわくの関東ライフの開始と共にそこで待ち構えていたのは、新たな職場でのパワハラでした。具体的には過去記事に書いていますが、とても苦しい日々でした。

 

当時を回想して綴った記事

  ↓↓↓↓

www.blog-ialoha.com

 

所属していた部署の部長が古き良き時代の人で「俺の酒が飲めんんか?!」的なノリのおじさんで正直なところウマが合わなかったというのが非常に大きかったです。それが業務にもろに出て明らかにキツイことも人前で多く言われました。加えて労働時間なども過酷なものでしたので、本当に精神的に参ってしまいました。結果、僕はたった2ヶ月で逃げるようにしてその会社を辞めたのです。転職先を決める前に。

 

 

転職先は外資系企業

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必死に転職活動をしたのと、とても良いキャリアカウンセラーに出会えたことが功を奏して無事に1ヶ月以内に転職先を見つけるることができました。僕は外資系企業のセールスとして転職しました。カルチャーは完全実力主義、自由な裁量と重い責任といった言葉がしっくりくる、いわゆる"外資系"のイメージ通りの組織です。入社したらPC、電話、名刺が支給されます。教育担当(?)みたいな人が、「目標数字はシステムの◯◯に出ているので、各自確認して必達でお願いします。じゃ、あとはよろしく!」と僕ら新入社員組に伝え、あとは本当に文字通り放置でした。

 

そこには僕の望んだ通りの環境がありました。上司は部下に、強制的に飲みに連れ出したり、なんてことは全くありません。定時にはほとんどのメンバーが荷物をまとめて帰って仕事とプライベートをしっかり分けて充実している生活を送っているようでした。 早い時は5時台、遅くとも7時までにはオフィスを出るような生活は僕にとっては初めてで、早く奥さんの待つ家に帰って一緒に夜ごはんを食べる生活はとても新鮮でした。この会社に転職してよかったなと思っていました。

 

 ただ、問題が一つありました。致命的な問題です。それは、自分にはその自由を謳歌しつつノルマをクリアする実力が備わっていなかったということです。初めての四半期は成績未達。次の四半期も未達でした。僕は立ち上がりとしては最悪の成績を残してしまったのです。セールスという職種は個人個人の成績が全員の目に触れるところに常に表示されている環境で過ごしているため、ノルマ未達の人間にとってはかなり苦しい環境となってしまいます。崖っぷちに立たされた自分は3つ目の四半期をかなりのプレッシャーの中で迎えてしまいました。

 

 

三度目の正直

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自由な裁量で研修後は完全放置とはいえ、連続で未達の人間には上長からのサポートが入ります。(※サポートというか、結構な行動管理をされるだけでしたが…。)結構きついことを言われながらも、この四半期からは残業が多くなってきて自分なりに頑張ったつもりでいましたが、それも実らず3回目の四半期も未達となってしまいました。

 

正直なところ今この3つ目の四半期振り返ると、僕は途中から半分諦めていたのではと思っています。自分なりに一生懸命仕事をしていて、人よりも長く仕事していたし、努力もした。それでも業績が届かない。つまり自分にはこの会社で活躍する実力が備わっていないまま転職してきたのだ、と。 確かに周りにいる社員は優秀でした。そういえば、まったく勉強しなくてもテストで満点とっていた人間って確かに自分の周りに存在していたな、と。そういう類の人たちが集まっている中凡人の自分がいる。そう思うと頑張るのがとても馬鹿らしく思えてしまえたのです。 

 

はあ…。関東はすごいところだ。僕はこう思いました。関東での最初の会社での問題は人間関係。僕の性格も大きく影響したとは思いますが、僕のヒューマンスキルではどうも追いつかず、理不尽だなと思いながらも断念しました。2社目は完全実力主義。問題は僕の仕事のスキルがまったく追いつかないこと。自分の目には周りは優秀すぎるように映っていました。恐らくこのままパフォーマンスが出せないと自分はクビになるだろう。上司からの行動管理もガチガチになってきて成績表は下から数えたほうが早く社内での立場もない。いっそのことパフォーマンスが出せていないことを理由にバスっとクビにしてくれたほうがどれだけ楽だろう。そんなことを考えていました。

 

 

このままでは終われない

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短期間で2社目を退職して3社目に転職しました。2社目は人間関係で理不尽な理由で辞めた。パワハラさえなければきっと活躍していたに違いない。自分でもそのように思い自尊心を保ちたいのです。そのためにはこの3社目で活躍して実力の程を見せつけていかなければならないのです。それがこのままでは終われないと強く感じ1つ目の理由です。僕も男ですので、多少なりともプライドはあったというわけです。そして 2つ目の理由。僕が世帯主であり、家族の稼ぎ頭でないといけないということ。自分がしっかりしなくては。そう思ったのです。

 

僕ときゃとらにの実家は共に福岡です。なので今後を考えると福岡で暮らしていくほうがずっと暮らしやすいのです。ですが僕はキャリアを追いたい一心で都会に出ることを決めました。きゃとらには当時は働いていました。その職場を退職してもらい一緒に関東に出てもらったのです。きゃとらには関東への転職を快く承諾してくれました。「コーヒーとならどこへでも。北すぎるのは寒いので正直嫌だけどw」と。

 

そして夫婦二人で楽しみにしていた関東ライフを迎えました。2社目はパワハラを受けた会社。入社して少し経過し、だんだん暗くなっていくコーヒーをきゃとらには見かねてこう言いました。

 

「コーヒーさん、会社辞めよう!」と。

コーヒーさんは常に家族を養うという責任感をもって働いてくれています。家族が幸せで安定した生活を送れるように。これに関してはいつも「ありがとう」って思ってます。でもきゃとらにとしてはその彼自身も家族の一員であることを忘れないで欲しいです。コーヒーさんが家族の一員である以上、幸福が彼の精神的健康の犠牲の上に成り立つべきじゃないし、彼の精神が蝕まれることで家族が幸福になることもありません。

引用元:パワハラに苦しむ夫の『退く勇気』 - ねこのつめ合わせ

 

僕はその会社を辞めました。この決断をきゃとらには「退く勇気」と英断として評価してくれたのです。収入源がなくなることもわかりきっていましたが、なんとかなる!と励ましてくれたのです。僕はこれで妻に大きな借りを2つも作ってしまいました。(※2つと言わず数え切れないほど借りがありますので頭が上がりませんが。。。)

 

www.catlani.com

 

これが今回負けられない理由でした。まだやれる。ここで自分が奮起して絶対に結果を出す。そして妻に「これでもう大丈夫。関東ライフは順風満帆だ。」と男を見せつけて安心させる。そう誓ったのです。

 

 

後には引けない4つ目の四半期

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さすがにもう負けられません。さすがに1年間通して1勝もしていないセールスに対して会社も厳しい判断をしなければならない時も来る。そう覚悟して臨みました。絶対諦めないと心に誓った四半期が始まりました。 

 

前半戦。相変わらず厳しい状況でした。僕は前の四半期よりも自分に負荷をかけて過ごしていました。周囲の人よりも3倍は仕事をしていたと思います。前の四半期もこのように結果がついて来ず、前半線を終え折り返し地点で諦めモードに入っていました。この四半期も同様に前半終了時点で達成の絵を描きづらい状況でした。しかし今回は違いました。モチベーションは下げずに決して諦めることなく最後まで数字を追いました。

 

後半線。ようやく数字が上がり始めました。諦めない気持ちがあったためか、その頃にはかなり集中して取り組んでいたため様々な改善を繰り返し営業手法の要領を得てきたのです。細かいことは控えさせていただきますが、この辺りに自信の営業スキルの大きな成長があったのかなと今になって振り返っています。

 

成績表では日に日に下からぐいーっと上昇しているコーヒーの名前がありました。 周りから「調子で始めたね!」「凄いね!」と言われてきました。急激な追い込みにまだ間に合う、絶対間に合わせる。と思い、そのためにできる限りのことを全てリストアップし実行しました。しかし、猛烈な追い上げも虚しく、この四半期も達成できませんでした…。

 

本当に悔しかったです。こんなに悔しい思いをしたのは久しぶりでした。その時にふと思いました。前の四半期ではこんな気持ちになっていなかったな。と。真剣に取り組めば取り組むほど、感情は大きく振れる。そう実感しました。この四半期から自分の中で何かが大きく変わったのは確かです。

 

 

2017年3月31日

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2016年最後の四半期を終えた時、上長と面談しました。自分の成績上、立場が危うく守ってあげることも厳しくなっていることを全て正直に話されました。しかしながら、最後の追い上げはすごかった。コーヒー自信で何かが変わったのかと問われました。その時に思っていることを全て話しました。本来なら厳しいジャッジをしなければならないところだったが、最後の追い上げに次回の四半期に期待せざるを得ない、とプロセスを評価されなんとか首の皮一枚繋がったのです…!そして、2017年最初の四半期でようやくこの日を迎えたのです。

 

僕ときゃとらには2013年4月1日に結婚しました。エイプリルフールでFacebookのお知らせを信じてくれなかった友人も数名いましたが、4月1日に入籍しました。2017年3月31日。僕らが結婚してから丸4年経過した日。関東にきて本当に色々ありました。僕は、自分と自分を支えてくれるきゃとらにのために必死に仕事をしました。本当に一生懸命に仕事をしました。結果、ようやくこの手で目標ノルマ以上の数値を出し、会社に貢献することができました。 それが2017年3月31日だったのです。この四半期も一進一退の攻防を続けていましたが、最後に粘り勝ちできました。心の底から嬉しかったです。嬉しさに心が震えたのは、僕が本当に真剣に取り組んだ証拠に他ならない。そう自分を誇らしく思えた四半期でした。

 

この話を平たくすると、「実力主義の外資系企業に転職した凡人が成績を出せずにいたが、頑張ってなんとか達成できた話」です。しかし、凡人はこの一年、諦めかけて放心状態になり、これではいけないと自分を鼓舞し、本気で頑張ったがそれでも達成できず、本当に悔しい思いをし、ようやく日の目を見て本当に嬉しい経験をしました。そこには自分の弱さや成長がありました。そしてそこにはいつも自分を支えるきゃとらにがいました。

 

外資系のセールスというポジションはシビアな環境ですが、その分成績を出せばストレートに待遇に反映されるようです。初達成後の給与にこの凡人にとっては驚きの金額が振り込まれておりました。これできゃとらにと美味しいもの食べよう。そう思った月末でした。

 

 

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